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大阪高等裁判所 昭和51年(う)594号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人浜辺寿男作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は、被害者が意識的にブルドーザーの機体部に立ち入つたため惹起された事故であり、被告人には被害者がかかる自殺にひとしい行為に出ることの予見可能性がないのに、ブルドーザー後退操作運転の被告人に対し、ブルドーザーの前部の安全確認義務を懈怠したとして業務上の過失を認定した原判決には事実の誤認がある、というのである。

そこで検討するに、原判決は、罪となるべき事実として、「被告人は、ブルドーザーの運転を業とするものであるが、昭和五〇年二月五日午後二時ころ、兵庫県津名郡淡路町岩屋九六九番地の一地先岩屋港湾改修工事現場において、ブルドーザー(デイ四デイエイ型、全長3.9メートル、巾2.95メートル)を運転し、盛土にめり込んだ右ブルドーザーを後退させるべく排土板を上下しつつ後退操作を繰り返していたが、同作業を手助けするため、竹崎隆明(当四五年)ほか一名が盤木をキヤタビラの下に差込むなどして足場の悪い右ブルドーザーのすぐ前付近で同作業を見つめていたのであるから、運転者としては右竹崎らに右重機を接触させないように同人らの動静に注意し事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、後部の土砂の状況に注意を奪われる余り、前記竹崎が何らかの事由によりブルドーザーの前部に接触、もしくは極めて接近していたのに気付かず、排土板付近の安全を確認しないまま後ろ向きの姿勢で右排土板を操作した過失により、同人を右ブルドーザーのユーフレームとラジエーターの間に狭圧し、よつて、同人をして内臓破裂等により、同日午後三時ころ同町岩屋所在国立明石病院岩屋分院において死亡するに至らしめたものである。」と認定し、弁護人の主張に対する判断として、「弁護人は、ブルドーザーのラジエーターとユーフレームの間に人が入つてくるということは運転者において予見することが不可能であつた旨主張する。なる程、前掲証拠によると、竹崎隆明が狭圧された個所は通常の状態では分別のある人が意識して立入る筈のない場所であることが認められるが、また、その故に、右状態は事故の結果招来、作出されたものと考えるのを相当とするところ、右証拠によると右竹崎外一名は被告人の運転するブルドーザーの後進のための介添えをしており被告人においてこれを了知していたものであるところ、右事故現場は栗石混りの盛土で地盤もゆるく、また、傾斜地で凹凸の激しい足場の不安定な場所であるから、同人らが躓き、踏み外しその他の原因により重心を失い身体の平衡を崩してブルドーザーに接触し、或いはこれに接近してくる場合のあることが充分予想されるものである(そのため、被告人も或る時点においては前記両名に注視していたものである)から、弁護人の前記主張は理由がない。」旨判示して、被告人の業務上の過失を認めた。

そこで先ず被告人のブルドーザーの後退操作について検討すると、〈証拠〉によれば、被告人は、竹崎隆明、池田和民の手助けを受けて、盛土斡面にめり込んだブルドーザー(名称トラツクタイプトラクタ、D4DA型)の後退操作を容易にするため右側、キヤタピラー前部の下に最終回の盤木(角材)を差し込んだあと、両名に対し盤木が折れたら危いからブルドーザーの前方へ退避するように申し向け、ブルドーザーの後部にある運転台に上り、立つた姿勢で前方を見て、ブルドーザーの最前部にある排土板の前方に自己の方に向い、向つて右に竹崎、左に池田が立つているのを確認したうえ、運転台に坐つて運転を開始し、先ず盤木を差し込むため既に排土板を相当に押し下げて車体前部のキヤタピラーを相当に浮き上らせてあつたのを、さらに排土板を最大限押し下げて車体前部キヤタピラーを最大限あげたうえ、キラタピラーを後進に回転させて暫時車体後部の盛土をキヤタピラーで掻き、ついで排土板を最も上にあげて車体前部キヤタピラーをおろし後方を向いて後方へ仰角約二〇度の盛土斜面を二、三〇センチメートルの間ブルドーザーを後退させ、その場で前を向いて排土板を最大限おろして車体前部キヤタピラーをあげ、引き続き前同様の操作を繰り返すという方法で後退を合計三回位行つて、右運転開始時から僅か一、二分後で当初位置から数一〇センチメートル後退した位置で排土板をあげつつあつたこと、その際排土板の左前方でブルドーザーに向つて立ち、しばし右後方を振り返つて背後から来たトラツクをみていた右池田が前向きに復すると、それまで同人の左側に並び立つていた右竹崎が、いつの間にかブルドーザーの車体前部にあるラジエーターとユーフレーム(ブルドーザーの前面の両側下部から出て排土板の後方に取り付けられたU字型フレーム)の間にラジエーターを背にして入りこんでいるのを発見し、驚いて手を振り、被告人に対し異常事態の発生を知らせる合図をしたこと、これをみた被告人は、急拠排土板を最大限下げたうえ運転を停止したこと、右後退操作において重いブルドーザー(重量八、一五〇キログラム)が盛土の仰角斜面の車体後部の土掻きと後退を繰り返す操作において土掻きのため排土板を最大限下げるに際しては、盤木がきいている初回はブルドーザーが前方にずり落ちないものの、二回目、三回目の際は若干前方にずり落ちるが、そのため多少前方に出る距離よりも毎回の後退距離の方が長いためブルドーザーは当初の位置より前にでることは一度もなかつたことが認められる。

次に、被害者竹崎の重機に対する知識、ブルドーザーの後退操作をみつめていた位置および足場について検討すると、〈証拠〉によれば、被害者竹崎(当時四五年)は被告人の勤務する的崎組の下請業者東淡産業のダンプカーの運転手で、当日も建設資材を運んで現場に来て荷降しまでの間、被告人のブルドーザーの前記状況をみていて自発的盤木等の差し込みを手助けしたうえ、その後退操作を見つめていたものであるが、同人はブルドーザーなど車両系建設機械運転技能の講習を修了していた者であること、原審および当審における証人池田和民の各供述、および同人の原審検証時の指示は、同人および竹崎が並び立つていた位置と排土板との距離は、五〇センチメートル位とも、九〇センチメートルとも、さらには七〇センチメートル位とも述べたり指示したりしているし、同人は当審においては事故の少し以前まで排土板の前を歩いていた旨述べ、その供述内容および態度に一貫性、確実性に欠けるうらみがあるのに対して、被告人の原審および当審における各供述は、あいまいさがなく自然で理路整然としているところ、同人は運転開始に先立ち、立つて運転台から竹崎および池田を見ると、同人らはブルドーザーの排土板から1ないし1.5メートル離れ、ブルドーザーに向つて並び立つていたので後退だけだから大丈夫だと思つた旨述べているので、運転開始当時には、並び立つ竹崎、池田らと排土板の間にはその程度の間隔があつたものと認めるのが相当であること、〈証拠〉によれば、竹崎および池田がブルドーザーを見つめて立つていたところは、ところどころに石もあるが、ブルドーザーのあるところと異なり、割合に平担で堅い岩盤の上にわずかに土砂が盛られた状態で安定しており、原判示のようなブルドーザーの運転振動その他により、竹崎らの足元がのめり込んだり、躓づき踏み外したりして重心を失つて倒れる危険状態のある場所ではないことが認められる。

さらに被害者竹崎の狭圧された状況をみるに、〈証拠〉によれば、池田和民が右後ろを振り返つてから顔を前に向きもどしたとき、ついさつきまで同人の左隣に並んでいた竹崎がいつのまにかブルドーザーの排土板(板の高さ七〇センチメートル)の後ろに取り付けられたユーフレームとさらにその後方に位置するブルドーザーのラジエーターの間〔両者の間隔は排土板を最も下げたとき約七〇センチメートル存するが、排土板をあげるに従いこの間隔は一一センチメートルとなる〕にラジエーターを背にした姿勢で入りこみ上にあげつつある排土板とラジエーターに腰部付近を狭圧されつつあつたことが認められる。

ところで、竹崎が狭圧されるに至つた原因について検討するに、竹崎が自殺の挙にでる理由は認めがたいところ、前記当審証人池野隆雄は、自発的にブルドーザーの後退操作のために、協力した被害者がブルドーザーを何としても引き上げ(後退のこと)なければならないと思い、キヤタピラーの下に堅い物でも敷けばのぼり易くなるだろうという目的のもとに入つたものと考える旨述べ、労働基準監督官は、災害調査復命書において、被害者はブルドーザーの後退操作の介助のため、機体を浮かせているときに立ち入つたものと推定される旨述べ、原審および当審における証人池田和民と被告人は、いずれも竹崎がブルドーザーの動きにより、よろけて巻き込まれラジエーターとユーフレームの間に入つたことは考えられないが、竹崎が入ろうと思へば排土板が下がつているときその上を越えて入ることができる旨を述べていることが認められる。

以上みてきたように、被害者竹崎は、ブルドーザーの排土板の右側前方1ないし1.5メートルの地点に立つていたものでありしかもその場所はわずかに土砂が盛られた平担で地盤は固く足場の安定した場所でしかも事故時は被告人運転のブルドーザーが後退操作を始めた当初の位置より数一〇センチメートル後退し、ブルドーザーと竹崎の佇立位置との間隔がそれだけ広がつた状況下にあつたことからして右地点に佇立していた竹崎がブルドーザー運転の際の振動や足場の不安定により躓づき、踏み外し、その他の原因により竹崎が身体の重心を失ない平衡を崩し、ブルドーザーに接触して本件事故になつたとは認めがたく本件事故は、結局竹崎がブルドーザーを見つめていて、その後退がよりスムーズにゆくように何らかの助力をしようと思い、とつさに衝動的に、ブルドーザーに近接してゆき、運動しつつあるブルドーザーに接触し、何らかの経過でラジエーターとユーフレームの間に入つたと考えるよりほかに考えようがない事故である。

とすれば、ブルドーザーの運転者は、その後退操作にあたり、これを容易にするための準備行為に協力した助力者が老人、子供ではなく、ブルドーザー等の運動性、危険性等につき一応通じているような者であるときは、ブルドーザーの運転者において労働安全衛生規則一五八条一項の趣旨に則り危いから退避するように申し向けたうえ、運転台に立ち右助力者がブルドーザーの最前面にある排土板の前方1ないし1.5メートルの安全な距離に退避し、排土板に向つて佇立するのを確認した以上は、特段の事情のない限り、その後助力者はブルドーザーの後退操作を見守り無断でブルドーザーに近寄らないであろうことを信頼して後退操作を続ければ足り、助力者があえて危険な後退操作中のブルドーザーに何の前触れもせずいきなり接近してきてこれに接触し、ブルドーザーの排土板等を越えて内側に入り込みユーフレームとラジエターーの間に挾圧されるなどすることのありうることまでも予想して、後退操作中ブルドーザーの前方に佇立する助力者の動静に終始注意して事故の発生を末然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当であり、先に認定した通り当時助力者竹崎は四五才の健康なダンプカー運転手で重機技能講習も受けブルドーザーの操作方法、危険性を熟知していた者であり、またその佇立する足場が安定したところであつた本件の場合前記の安全確認義務を越えて被告人に特別の注意義務を求めるべき特段の事情は認められない。

してみれば、被告人に前掲のとおり本件事故業務上の過失責任を認定した原判決は、事実を誤認し、ひいて法律の解釈適用を誤つたものであつてこの違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書によりさらに判決する。

本件公訴事実は、「被告人は、作業現場においてブルドーザー運転の業務に従事している者であるが、昭和五〇年二月五日午后二時ころ、兵庫県津名郡淡路町岩屋九六九番地の一地先岩屋港港湾改修工事現場において、ブルドーザー(D4DA型、全長3.9メートル、巾2.95メートル)を運転し、盛土にめり込んだ右ブルドーザーを後退させるべく排土板を上げたり下げたりしつつして後進操作を操返していたが、同作業を手助けするため、竹崎隆明(当四五年)ほか一名が盤木をキヤタピラの下に差し込むなどしたうえ、右ブルドーザーのすぐ前付近で同作業を見つめていたのであるから、運転者としては、不測の危険を防止するため、同操作中は、右同人らをブルドーザーの近くから退避させるはもとよりのこと、とくに排土板を操作するときは、その都度、その付近に右同人らが立ち入つていないかどうかを確認して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、後部の土砂の状況に注意を奪われる余り、排土板付近の安全の確認をしないまま後ろ向きの姿勢で右排土板を操作した過失により、前記竹崎がブルドーザーの前部に立ち入つていることに気付かず、同人をブルドーザーのユーフレームとラジエーターの間に狭圧し、よつて同人をして内臓破裂等により、同日午后三時同町国立明石病院岩屋分院において死亡するに至らしめたものである。」というのであるが、右公訴事実については前記のとおり被告人には過失がなく罪とならない場合であることが認められるので、刑訴法四〇四条、三三六条により無罪の言渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

(矢島好信 吉田治正 朝岡智幸)

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